どうも。
スキマスイッチが好きなよしまです。
例の件について聞いちゃう?
いいよ話そうか?
そんなことは今日のテーマではないんでいいんですが、これをきっかけに思い出した気持ちがあったので発散させたいと思います。
私の意見は、まぁ
当事者以外は黙ってろ
といった感じですね。
さて本題。
人間の口ほど信憑性のないものはないなぁとつくづく思う。
どうしたって話を正確に伝えることなどできない。
正確に受け取ることもできない。
最初に人の口が信用できないと思ったのはコンビニのアルバイトしていた頃。
愚痴っぽくなりますが、具体例を出したかったので長々と書くことにします。
ある日、万引き対策のため普段使うレジを変えてくれと先輩に言われた。
立ち位置を変えることで見える売り場の範囲が広がるかららしい。
私はそれを承諾しつつ、今までの位置の方が売り場を見やすいと感じていたので「こっち(今までの位置)の方が見やすいんですよね(笑)」と言った。
笑いながら軽く言ったつもりだったのだが、そのあと在庫を取りに裏へ行ったら
「さっき…(先ほどの出来事を話す)…で、〇〇(私)さんに”こっちの方が見やすいんです!(-_-メ)”って怒られた」
と店長に零していた。
(ちなみにその時私がいたことには気づかれていない。存在感なくてヨカッタネ。)
自分の意見を否定されて、口ごたえされて、腹が立ったんだろう。
その感情が、意図的か無意識かは知らないが記憶を悪い印象に書き換えたのかもしれない。
あくまで想像でしかないし、もともと先輩には嫌われていたので悪意を持って話していたのかもしれないけれど。
口では言った内容は伝えられるんだろうけど、言い方やテンションなどの言った・聞いたその時の様子を100%伝えるのは不可能だ。
伝えようとした記憶に受け取ったときの気分や感情、意見が少なからず混ざってしまう。
そんなつもりはなくても無意識に混ぜてしまってるんです、実は。
私もやったことがある。反省。
物事だけでなく人にもよる。
嫌いな人と話すときは相手の態度が悪く見える。
伝える時は当時の嫌な感覚が混じる。
好きな人と話すときは肯定的。
色々なものが混ざったそれを聞き、聞いた人の感情も混ざって次の人に伝わる。
2,3人も続けば、本当の部分なんて少ししか残っていない。
世間話やTwitterなど話す量が少ない場所では尚更残らない。
文章量が少なく伝わらない、伝えない量の方が多い。
それってほぼ個人の感情か、興味が無ければ正誤考えず印象に残った部分じゃないのか。
なんなら当事者ですら事実と異なったことを記憶している場合もある。
先ほども書いたけど受け取り方は人によって違うので。
そうなるともはや事実を証明しようがない。
キーボードを叩きながらグルグル考えて、もともと事実なんて存在しないんじゃないの、とも思えてきた。
信憑性という以前に信じる本体がないのか。
低能な頭で考え続けても埒があかないので無理やりまとめよう。
- 伝える側は人や物について発信するという責任を自覚して、なるべく中立的な感覚で伝える
- 聞く側は話を信じきらないこと。違う視点からの情報も見て判断をするか評価をせずに聞き流す
- 上記2点を頭の中に置いて人の話と付き合う
小学生か。