よしまのメモ帳

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「機転の会話術」から「会話でやってはいけないこと」を学ぶ。

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先日、図書館でこんな本を見つけたので借りてきました。

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「機転の会話術 的を射た話し方も愉快なジョークもスラスラでる本」

1982年に発行された、かなり昔の本みたいです。

私は人と話すのが苦手です。
理由はいろいろとありますが、ひとつ「人を楽しませられない」というのが大きなコンプレックスになってあまり話せず、複数人でも二対一でもいつも聞き手にまわっています。
でもたまには私だって話したい。
「話したいことを話して、かつ周りに楽しんでもらうためにはどう話せばいいのか」
それを求めてこの本を借りました。

中を見ると、最近の自己啓発本では見られない文庫本のような文字サイズと行間で描かれています。
しかし挿し絵やかぎかっこを使った話し言葉もあり、活字が苦手な自分でも比較的すんなり読むことが出来ました。

読んだ感想としましては、はっきり言って、これを読んでも気の利いた言葉がスラスラ出ることはないなと思いました。
自分の求めていたものとはちょっと違ったようです。

まず半分近くがジョークを並べているページで、現代では「サムい」と思われそうなものも少々。
役に立ちそうなものも多くありましたが多すぎて途中飛ばしてしまいました^^;

また「こういうところに気をつけるといいよ」というところで止まっていて「気をつけてからどうすればいいのか」が物足りなく感じました。
ジョークの発想法について書かれている章で「毎日練習しなければならない」と書かれているんですが、その後書かれているのは訓練方法ではなく、ジョーク集なんです。
何でも人に頼るのはよくないとわかっていますが、それを求めて読んだので物足りなかったですね。

しかし、その中でも会話の基本となるところは分かった気がします。
それがタイトルにも入れました「会話でやってはいけないこと」です。
これは時代が変わっても変わらない部分だと思います。

会話でやってはいけないこと

 最初に、ジョークとは「みんなが楽しめることば」であると書かれています。

本当のジョークとは、誰が聞いても楽しくなる会話のひとつであるべきものなのだ。

P.12

友達とお茶をしているときは楽しい話をする方が良いですよね。というか楽しい話をするために集まるものですよね。
(親世代はだんだんと愚痴や健康の話になりますが…笑)

非難する

 数人の中まで歩いていて、その中の一人が人混みの中で転んでしまったとしよう。そのとき他の一人が「すべり込みセーフ」などといえば、恐らくみんなが笑うだろうし、転んだ本人だって笑ってすませるだろう。しかし、本人にとっては、本来ならば話題にしてほしくなかっただろう。
 ジョークの本質とは、よりよいコミュニケーションを育てるところにあるのであって、被害者をネタに笑うことにあるのではないはずだ。
 足が短いといって、いつも悩んでいる人に「布施明よりも長いよ、心配するな」といったところで、「お前は、足が短いんだ」といっているのと同じことなのだ。
 顔が悪いといって悩んでいる女の子に「顔じゃないよ、心だよ」と励ました所で、「ブスだ」といっているのと同じことなのだ。
 ただ、人を笑わすだけが目的であろうとも、決して他人を非難することだけはやめておいてもらいたい。友達づきあいにヒビが入るばかりか、その人の人格までが疑われることがあるからだ。
もし、家族の中に、頭がハゲている人がいたら、いってごらんなさい。
「寒くなってくると、頭から冷えてくるんじゃない?」他の家族の人は笑っても、当人は決して笑わないはずだ。

P.23~24

大袈裟ではありますが、一人を犠牲にして大勢を笑わせるのはよろしくありません。
これは共感しました。

テレビ等のトークでしばしば見られますが、人の失敗談をネタにして笑いを取る人がいます。
視聴者や他出演者は大爆笑かもしれませんが、メンタルの強い芸人さんでもない限り本人は笑っていても心の中で傷ついています。

うちの親戚も人の失敗にツッコミを入れてネタにして笑う人が多いんですよね。
私もネタにされたことがありました。
普通のメンタルを持っている人間としても、内容は触れないでほしかったものがほとんどで恥ずかしくなったり傷つきました。

自分のことは自身が消化(昇華)できていることなので存分にネタにして笑わせればいいし、笑えばいいと思います。

経験上、他人の失敗をネタにする人は自分のこともネタにしますが「自分が失敗したときは何とも思ってないから、ネタにされる人の中でも何とも思っていないだろう」と思っているようです。

楽しく会話するためにはまず、「自分と相手は違う」ということを意識することが大切なんだと思います。

誰にでも同じことばを使う

自分がジョーク好きで、よくジョークをいっている人が、自分のジョークにニコリともしない人に対しては「ユーモアのわからない奴」と馬鹿にしたくなる。しかし「ユーモアのわからない奴」にとってみれば、ジョークの好きな人のことを「不謹慎で不真面目」と思っているかもしれないのだ。

中略

だから、相手の性格に合わせた会話をしなくては、目的をとげることができるはずがないのである。

P.30

私は「面白いことを言って笑わせたい」と思っていましたが、それを好まない人もいることについては周りが面白い事好きな人が多いこともあってまったく頭に浮かびませんでした。
言われてみれば当たり前のことなのに。これは気を付けなければいけないと思いました。

「自分と人は違う」という感覚と同時に、「人は皆違う」という意識もあった方が良いんでしょうね。
全部一緒に考えると頭がパンクしそうなので、最初は自分と人についてを頭に入れておきたいと思います。

欠点をつく

本書では、「ケチ」ということばは誰に対しても言ってはいけないと書かれています。

裕福な人に対してはジョークで通じることもあるが、ケチな人に対してケチというのは問題を起こすことがある。特に奥さんたちの井戸端会議や女性に対して口にすることばではない。経済的だとか金の使い方がうまい、なども同じである。自分の欠点をつかれているようでいやなものがある。

P.140

また、変えようのない点を指摘されても人は傷つくとのこと。

 肉体上の欠点をいうのもダメである。少なくとも、顔に自信を持っていない人にブスといってはいけないように、失敗したときにバカといってみたり、笑ってはいけないのである。

書くまでもなく「ケチ」って悪口ですよね( ̄▽ ̄;)

そして1番目に書いた「非難する」と似ていますが、人の欠点をバカにしたりしてはいけない。
自分でどうしようもないことを指摘されてもどうしろって話です。

小学生の頃、友人に「毛深いね」と言われてとても傷ついたことを思い出しました。
友人は何の気もなしに事実を言っただけですが、毛深いことがコンプレックスだった自分は心の奥がジクジクと痛みました。

まとめ

以上、印象に残った部分を挙げてきましたが、まとめてみると「人の気持ちを考えよう」というごく基本的な結論になりました。

無理に笑わせられなくても、うまいこと言えなくても、相手を想うことで会話は気持ちの良いものになるということなんでしょうかね。
そう考えると気楽に発言できるようになりそうです。

求めているものとは違うことが書かれていましたが、基本を見直せる本だったと思います。

残念ながらこの本は絶版になっているようでどこにも売ってませんが、もし古本屋等で見つけたら、会話が苦手な人は一度読んでみてはいかがでしょうか。

▽本書ではありませんが、会話が苦手な人の参考になりそうな本を置いていきます(・ω・)ノ