どうも、絶賛情緒不安定なよしまです!
そんな状態でブログ書くな!
私は今、諸事情によりメンタルがぐずぐずなんですが、こういうときって無性に淋しくなって子どものような態度をとりたくなってしまうんですよね。なりませんか?
思い通りにいかなくて泣きたくなったり、言葉未満の声を出してみたり、イヤイヤ言いたくなったり。
山口弁で「じらをいう(わがまま、駄々をこねる)」という言葉があるんですが、まさにそれ!って感じです。アラサーだっつの。
さすがに人前ではこらえていますけどね。
深夜にひとりで「うがー!」となってしまうんです(語彙力が赤ちゃん)
好きなものを食べても、推しを見ても、散歩しても、ぐっすり眠っても、全然満足できない。
なぜだ?とグズグズするたびに考えていたんですが、原因が見えた気がするのでちょっろっと書き留めておこうと思います。
ほぼ愚痴です(笑)
愛が足りねえ!説
愛、とか書いていて恥ずかしすぎるんですけど(笑)
ひと言で表すならコレなのかな~なんて。
というのも、ぐずぐずしている最中に見たメディアに単身赴任中のパパが映っていたんですが
「コロナで会えないから奥さんと子供と毎日のようにテレビ電話をしている」
という話をしていて。
私はそれに
「離れていても、こんな風にしてくれたら大事にされてるって実感できるだろうなぁ。いいなぁ。」
と、とてつもなく羨ましく感じたんです。
こんな風に大事にされたかったわ~、この人の娘に生まれたかったわ~って(笑)
そこで気づきました。
「大事にされたかったわ~」と思うということは、自分は大事にされていなかったのか?と。
つまり家族といても、さみしかったのよ。
我が家は父・母・私の3人暮らしでいたって普通の家庭です。
父はちゃんと仕事をしてくれていましたし、母は家事育児に頑張っていたと思います。
そんな普通の家で大事にされてないわけないやろ~(´ー`)
と、子どもの頃を思い返してみたんですが、結果は半分アタリで半分ハズレでした。
えっ( ゚Д゚)
食うには困らない生活はさせてもらいましたし、虐待やネグレクトもありません。
でも、じゃあ「愛されて育ったか?」というと、どうにもその実感がないんですよね。
なんというか、自分を見てもらっていた記憶がない。
注目や監視の意味ではなく、向き合ってもらえなかった、気にかけてもらえなかった、という意味で。
父は平日に仕事をして、休日はパチスロか、家で昼間からビールを飲んでテレビを見て寝る生活をしていました。
会話も1日ひと言ふた言。
一緒に出かけることは年に何度あったんだろう?
ポケモンとコナンの映画見に行くときくらいじゃないですかね(笑)
家族サービス?なにそれおいしいの?
一方、母は父に対して、養ってくれるからと文句は言わず、なんでも言うことを聞きます。
母が真っ先に考えることは「父が何と言うか」。
裏で不満を溜めて、物や私に当たりながらも旦那様に従うのです。
当たられることに耐えかねて指摘したときに「だって腹立つんだもん」と返されたことを私はいまだに忘れません。あと18回は言う!(鬱陶しい)
そんなわけで、我が家の関係を表すと
父←母 ←自分
こんな感じだったんですね。
正直、両親の中はギスギスしていたし、普通って書いているけどこう見るといびつな気がしないでもない…?
父は自身と外を見ていて、母はその父を見ています。
子どもであった私は当然、2人を見ます。
2人を見る私を見る人は、いないんですねぇ。これが。
なんか、こう…
子どもとスキンシップやコミュニケーションを取る時間って少なからずあると思うんですよ。想像ですけど。
知人のおじちゃん(62)も「結婚したときから子供のための生活になる」って言っていたんですけど。
それが我が家にはなかったんだな~、と。
精神的ななにかしらのパーツを得られないまま、どこか足りないまま大人になってしまって、その物足りなさ・淋しさがストレスを感じたときに引っ張り出されるんじゃないか
というのが、自分が子どもがえりしたくなる原因だと気づきました。結論まで長ッ!
いろいろな人の感覚や思考を見てきた今になって考えれば、冷静に「あー、そういうこと」と納得できますね。ガッテン!
あ、でもやっぱり食うにも困ってましたよ。おかず足らんかった(突然の不満)
鳥頭なんで良い記憶を忘れている可能性もありますが…
忘れるくらいだから相当少なかったと思うよ…。
ちなみにここ数年の我が家は年を重ねて落ち着いたのか、
父→←母→ 自分→→→
こうなってます。
自分どうした?ww
どうすれば心を埋められる?
原因が分かったところで、ではどう解決していこうかという話になります。
これは私も実践できていないので推測でしかないのですが、つまりは足りないものを補えば、淋しかった当時にしてほしかったことを叶えられればいいんですよね?(聞くな)
自分だったら
- 話を聞いてほしかった
- 肯定してほしかった
- 優しい言葉をかけてほしかった
- 甘えたかった
このくらいかな?
ただ、これを年取って頭が硬くなった親に求めるのは無理です。我ながらひどい言い草だわ!
生活する中で、上記のような接し方をしてくれる人に出会えたらベストなんでしょうね。
友達、恋人、同僚etc...?
……無縁やなぁ(遠い目)
ぼっちは自分で自分をなぐさめるしかない
ということで、ぼっちは自分でなんとかするしかないんですよ!(泣)
とりあえずぬいぐるみやペットをもふもふするとストレスが軽減されるそうなので、1個(1匹)どデカいやつを持っておくと良いかと。
我が家にはポムポムプリンくんがいまして、ギュッとすると優しくされているような感覚になります。もふ。
あとは、「インナーチャイルド(※)の癒し方」みたいなものを試してみるとか。
端的にいうと「淋しかった頃を思い出して、当時の自分を今の自分が癒してあげる空想をする」という方法です。
なにやらスピリチュアルなニオイがしますが、妄想とかよく行う人は多少なりとも効果があるかもしれません。
私も常々、白馬に乗った王子様が迎えに来てくれる妄想をしているので…ゲホッ、うそです、30匹のネコに囲まれて猫ハーレムする夢ばかり見ているので、やってみたいです。
猫ハーレムもまぁまぁ癒されますよ(笑)
いっそ、がっつり駄々こねてジタバタすれば良いのでは?とも思うんですけどねぇ。
タオルケット握りしめて気が済むまで泣くとか、オレンジジュースをストローで飲んでみるとか、お惣菜買い揃えてお子様ランチ作ってみるとか。あ、いいなそれ!
本当いうと、ニコニコしてお話聞いてくれて、メニューはホットケーキとかオムライス、和食がある「お母さんカフェ」とかあればいいのにな~って3年くらい思っているんですが、いつオープンしますかね?(真顔)
まだまだ解決には時間がかかりそうです。
一生のうちに見つけられるかな?
※・・・自分の心の内側にいる子ども。記憶や心情、感傷。インナーチャイルドが傷ついていると、諸々の生きづらさを感じることもあるらしい。