よしまのメモ帳

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思春期の倦怠期は本当に勘弁してください。

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昔の夢を見て胸糞悪いので吐き出します。
今日はどよんとした記事です。

 

子どもが中学生とか高校、いわゆる「思春期」の頃の家庭環境はその後の子の人格に大きく影響すると思う。
理想を言えばもちろん生まれてから大人になるまで家庭環境は良いものであるべきだけど、思春期は特に気をつけたい。


我が家はいたって普通の家庭だ。

父はサラリーマン、母は専業主婦。
貧乏でも裕福でもない、現代にしてはむしろ恵まれている家庭かもしれない。

暮らす上での不自由はなかったが、家庭内の会話が他の家より少なかったように思う。
父は子育てを全て母任せで、休日はパチンコに行ったり昼からお酒を飲んでいた。
ただ仕事は真面目にしてくれるので、母は稼いできてくれる父に頭が上がらないというか、気を遣っている風だった。

亭主関白と言えば聞こえはいいが、要は父の我儘を聞いているだけ。
食卓に置かれた漬け物ひとつとっても父の好きな大根を食べようとすると怒られた。
一生忘れるつもりのないエピソードのひとつである。食べものの恨みは怖い。

それでも問題なく暮らしていたのだけど、ある時期、私が小学6年生の頃だろうか。
父と母の関係がピリピリしはじめた。

今思えば「倦怠期」というやつだったんだと思う。

それまで以上に家族間の会話が少なくなった。
言い合いは無かったが、お互い相手のいないところでかなり攻撃的になっていた。

父は母の言動が気にくわなければ見えないところで即舌打ち。
朝起きたら居間にある押入れの襖がやぶれて割れたガラスコップが落ちている。
母は小さく文句を叫びながらクッションを殴っている。

影で見ていてそれがとてつもなく恐かった。

普段は機嫌が悪いにしても仕事はするし勉強も教えてくれる。
静かな時とのギャップがこわかった。

面と向かって八つ当たりもされた。
一度「八つ当たりしないでよ」と言ったら「だってイラつくんだもん」だって。
理由になっていない。

毎日泣いた。
ストレスで胸が痛くなった。

子どもの狭い世界で親はこの世の人間代表みたいなものだ。
自分の場合は不登校でずっと家にいたから余計「親が全て」になっていたんだと思う。

話を聞いてくれる友達も兄弟も親戚もいない。
両親は外面だけは良いから理解されない。
相談機関も当時は知る術がなかった。

親の倦怠期は2~3年くらいだっただろうか。
その間に人が皆こんなに怖いものなんだという考えがすっかり植わってしまい、対人恐怖症に近い状態になってしまった。
怒られないように、嫌われないように、人の顔色を伺ってなるべく存在感を消した。

中学時代は学校に行くことはもちろん、外出すら月に片手で足りるほどしかしていなかったと思う。
義務教育ってありがたいね。
こんな奴でも卒業させてくれるんだから。

中2の終わりからは何故か両親の空気が緩んできた。
両親が不満を発散しきったのか、互いとの付き合い方を知ったのか、歳を取って丸くなったのかはわからない。

自分も通信制の高校に進学して週1回の通学と良い友人に恵まれ、少しずつ対人恐怖を克服することができた。

数年後の姑いびりにあって再発するのはまた別の話。

当時、両親にも事情はあったのだと思う。
詳しくは書けないが時期的に父は仕事で悩んでいたのかもしれない。
母は父への日頃の不平不満が溜まっていたんだろう。

親も人だ。
感情を爆発させたくなることもある。

けれど、そばにまた別の「人」がいることを忘れないでほしい。
事情の知らない、学校や身体のことで心が不安定になっている歳の人間がいるのなら尚更。
一時の感情で一生の傷を受ける人がいることを覚えておいてほしい。

私は今でも舌打ちと低い声が聞こえると怖くなるし、人の顔色をうかがって明らかに人と違うくらい心配する性格が直らない。
周りには無害なのでこの性格になったことを恨みはしないが、昔のようにのびのびと過ごせたらどんなに楽だろうと考える事はある。

一方で両親は何事もなかったように円満に過ごしている。
いじめもそうだけど危害を加えた側はいつだってケロッとしているものだ。

もうこうなったら親は生きる者の義務として自分を産んだだけなんじゃないかと考えそうになるが、悪い方にしか進まないからやめとこう。
そんなことないそんなことない。

現代は共働きや片親が多くて子どもにかまっていられないかもしれないけど、どうかお子さんのいる人は家庭を安心できる場所にしておいてほしいと思う。

弱みを見せるなということではない。
ある程度の愚痴や甘えは見せて良い。

その中でも想っていること、向き合う意思があることを少しでも示してほしい。


中学時代、自分がしてほしかったことはなんだろうと考える。

優しくしてほしかった。

話を聞いてほしかった。

10分でもいい。
安心できる時間がほしかった。


タイトルと話がずれて来たけどつまりは「倦怠期は子どもの心を歪める原因にもなりかねないので時期を考えてください」という話でした。
それが出来たら苦労はしないんだけど。