先日、親戚と会う機会がありました。
しばらく話していたんですが、別れた後に親戚がすごく羨ましいと思えてきて。
普段は何とも思ってないのに、たまにありません?
無性に周りが羨ましくなるとき。
「その人の全てを羨ましいと思いなさい」
私もそんな時期らしく、しばらく羨ましがっていました。
実家暮らしで生活費要らず、母子手当と元旦那からの養育費もらって、友達もたくさんいてあちこち遊びに行って…って、挙げたら延々続きそうなくらい「いいな~いいな~」と思ったりして。
でも今朝、ふと祖母のこんな言葉を思い出しましたことで考え直しました。
「羨むならその人のすべてを羨ましいと思いなさい」
良いところだけ見て羨ましいのは当たり前だと。
性格や環境、経験してきたことも全て羨ましいと思いなさいと。
自分は、親戚のことを全てひっくるめて本当に羨ましいのだろうか。
その人の人生まるっと引き受けたいか。
答えは「NO」でした。
たしかに不自由なく暮らせるところは羨ましくあります。
でも大変なこともたくさんありました。
聞くところによると親戚は親から過度な躾を受けたり、離婚調停で苦労したりしていました。
また性格上、将来について考えることをしません。今出来るだけする、あるだけ使う。今を生きるのは大事だとは思うけど。
客観的に見て、自分にはそういう人生はきっと耐えられないだろうと思いました。
旦那を説得するとか裁判所に何度も出向くとか無理。
将来にまったく備えないとか不安で仕方ない。
そのことに気づいた瞬間、羨ましさはスッと消えていきました。
「苦労は乗り越えられる人の元に訪れる」
「羨ましい」という気持ちは目標や憧れになる必要な感情です。
しかし、劣等感や嫉妬などに変わることも少なくありません。
けれど本当に羨ましいと思う相手は案外少ないのかもしれません。
親戚を羨ましく思うように、自分の事を羨ましく思う人もいるかもしれません。
自分は環境的には恵まれています。働かずに暮らせていいねなんて思われるかもしれない。
けれど人間関係は散々でした。いじめやパワハラ、家庭環境に問題があった時期もあります。
人間関係って生きる上で大事ですよ。
それが欠落してるって、どうよ。
自分のままで良いです、ってならない?なんて。
計り知れない苦労をし、苦悩を経験した人は周りの人になりたいかもしれません。
そういう人にこういうことを言うのは酷でしょう。すみません。
でも、「苦労は乗り越えられる人のところにしか訪れない」というセリフを何度か聞いたことがあります。
スピリチュアル的なことですが、あながち間違っていないのではないのかなと。
形が違うだけで誰も楽しいことはあるし、苦労もある。
人気やお金のある有名人も引き換えに技術やプライベートを切り売りしてる。
それを自分が背負いたいかと思うと、本当に羨ましいか考えてしまいます。
なんだかんだ自分が一番しっくりくるもんだ、
そんな風に少し前向きになれた気がする雨の日でした。